2019年9月21日、山梨県道志村の椿荘オートキャンプ場で、当時小学1年生・7歳の小倉美咲ちゃんが行方不明となった。
2022年5月、現場付近で見つかった人骨の一部について、DNA型鑑定の結果、美咲ちゃんのものと一致した。山梨県警は美咲ちゃんが死亡したものと判断したが、何が起きたのかについては、現在も捜査が続いている。
行方不明から6年を超えた今、母親の小倉とも子さんが語ったのは、娘を失った悲しみだけではない。SNSで広がったデマ、誹謗中傷、見知らぬ人から届く「正論」、ボランティアとの摩擦、霊能力者を名乗る人からの接触。家族は、捜索とは別の場所でも長い時間を削られてきた。
警察より先に、SNSで顔写真が広がった
美咲ちゃんの行方が分からなくなった直後、警察は顔写真の公開について慎重な姿勢を取っていた。無事に帰ってきた時の生活への影響を考えた判断だった。
しかし、SNSでは先に顔写真が広がった。とも子さんが経営していたトリミングサロンのInstagramにあった家族写真が、善意の共有として拡散されたことがきっかけだった。
情報を広げたいという思いは、多くの人にあった。だが、SNSの拡散は止められない。山中で捜索を続けるとも子さんのスマートフォンには、安否を気遣う連絡や情報提供が相次ぎ、電源が切れることへの不安もあったという。
「見つけてほしい」という願いから始まった発信は、同時に家族の負担にもなった。
根拠のないデマが広がった
ネット上では、断片的な情報をつなぎ合わせた根拠のない投稿が広がった。
「母親が怪しい」
「人身売買ではないか」
「臓器売買ではないか」
そうした事実に基づかない言葉が、掲示板やSNSで繰り返された。夫や長女の個人情報までさらされ、家族は捜索と同時に、ネット上の攻撃にも向き合うことになった。
殺害予告や、店への押しかけを示唆する連絡もあった。自宅や店舗に防犯カメラを設置し、外出にも不安を抱える生活が続いた。
中傷投稿を繰り返したブログ運営者が、後に名誉毀損罪で有罪判決を受けた例もある。それでも、家族が受けた恐怖と疲弊は、判決だけで消えるものではない。
一番苦しかった「正論」
とも子さんが特に苦しかったと語ったのは、悪意ある中傷だけではなかった。
「私だったら十数秒でも子どもから目を離さない」
子育て経験のある女性から、実名で届いた言葉だった。
この言葉は、乱暴な中傷ではない。言っている側は、正しいことを言っているつもりだった可能性もある。だが、子どもが行方不明になった家族にとって、その言葉は深く刺さる。
とも子さん自身が、誰よりも後悔し、責任を感じていた。その状態にある人へ、外部から「自分ならそうしない」と突きつけることが、どれほど追い込む言葉になるのか。
行方不明者の家族は、捜索、警察対応、報道対応、情報提供への対応を続ける。そのうえで、見知らぬ人から届く「正論」にも耐えなければならなかった。
情報整理は家族だけでは限界があった
家族のもとには、情報提供、励まし、中傷が同時に届いた。
SNSやホームページに集まる情報を確認し、中傷投稿の証拠を保存し、必要なものを整理する作業は、家族だけで抱えきれる量ではなかった。
途中から、友人や知人、ボランティアが情報整理を手伝うようになり、負担は軽くなったという。さらに、弁護士の介入によって、発信者情報開示請求、損害賠償請求、メディア対応、刑事告発などが進んだ。
開示請求は約30件に及んだ。相手には若い世代から50代くらいの男性まで含まれ、大学の准教授という立場の人物もいたという。多くは謝罪に至った。
とも子さんは、時間がたってから、中傷はネット全体の声ではなかったと受け止められるようになった。だが、渦中にいる時には、過激な投稿が「世の中の声」のように見えてしまう。
ボランティアの善意と摩擦
警察による大規模捜索が終わった後も、有志のボランティアは活動を続けた。
多くの人は、美咲ちゃんを見つけたいという思いで動いていた。とも子さんも、その善意に感謝している。
一方で、支援の現場には難しさもあった。活動方針をめぐる行き違い、個人でのクラウドファンディングの呼びかけ、グループを離れた後の批判などもあったという。
行方不明者の家族は、捜索を続けながら、支援者との関係にも気を配らなければならない。善意であっても、整理されないまま積み重なれば、家族の負担になる。
霊能力者を名乗る接触
とも子さんは、霊能力者や占い師、スピリチュアルを名乗る人からの接触にも苦しめられた。
「美咲ちゃんの居場所を知っている」
「助けてあげる」
「苦しい、助けてと言っている」
こうした言葉が家族に届いた。中には、美咲ちゃんの声を代弁するかのような、家族をさらに苦しめる内容もあったという。
子どもがいなくなった家族は、わずかな可能性にもすがりたくなる。そこに、非科学的な情報が入り込む余地が生まれる。
とも子さんは最終的に、霊能力やスピリチュアルを名乗る情報提供を断る姿勢を示した。
顔を出し続けた理由
遺骨の一部が見つかり、警察が死亡と判断した後も、とも子さんは情報提供を呼びかけ続けた。
顔と名前を出して取材に応じる理由について、とも子さんは、美咲ちゃんの名前と自分の名前が社会から消えなければ、いつか美咲ちゃんにつながる情報が得られるかもしれないという思いを語っている。
一方で、行方不明者の家族すべてに顔出しを勧めるわけではないともしている。顔を出すことで情報が届く可能性はある。だが、中傷、詮索、家族への影響も受ける。
顔を出すかどうかは、家族ごとの事情によって重さが違う。
献花台の終了と植樹
2025年9月、行方不明から6年の節目に、現地に設けられていた献花台は終了した。
とも子さんは、長く献花台を管理してきた人たち、土地を提供した人たち、現地を訪れた人たちへの感謝を示した。現地には植樹が行われた。
これは、忘れるための対応ではない。美咲ちゃんを思い続けながら、家族が前に進むための一つの区切りだった。
同時に、とも子さんは、美咲ちゃんが亡くなった経緯が分かっていないとして、今も情報提供を求めている。
行方不明者家族を誰が支えるのか
小倉美咲ちゃんの行方不明は、1人の子どもがキャンプ場で姿を消した出来事として始まった。
しかし、その後に家族が直面したものは、捜索だけではなかった。SNSのデマ、中傷、正論として届く言葉、ボランティアとの関係、霊能力を名乗る接触、報道対応、法的手続き。
行方不明者の家族に、これらをすべて自力で抱えさせてよいのか。
必要なのは、情報提供の整理、中傷への法的支援、報道対応、精神的ケア、支援者との調整を、家族任せにしない仕組みである。
警察の捜査は今も続いている。情報提供は現在も大月警察署で受け付けている。
美咲ちゃんに何が起きたのか。
子どもが消えた家族を、社会はどう支えるのか。
6年を超えた今も、その問いは残っている。
編集部まとめ
2019年9月21日、山梨県道志村の椿荘オートキャンプ場で、当時小学1年生・7歳の小倉美咲ちゃんが行方不明となった。
2022年5月、現場付近で見つかった人骨の一部がDNA型鑑定で美咲ちゃんのものと一致し、山梨県警は美咲ちゃんが死亡したものと判断した。
母親の小倉とも子さんは、行方不明後の6年間で、SNS上のデマや中傷、「正論」として届く言葉、善意の支援との摩擦、霊能力者を名乗る接触などに向き合ってきた。
発信者情報開示請求は約30件に及び、多くは謝罪に至ったという。
2025年9月、現地の献花台は終了し、植樹によって一つの区切りがつけられた。
警察の捜査は現在も続いており、情報提供は今も受け付けられている。
この記事の要点Q&A
Q1. 小倉美咲ちゃんはいつ行方不明になりましたか。
2019年9月21日、山梨県道志村の椿荘オートキャンプ場で行方不明となりました。当時小学1年生・7歳でした。
Q2. その後、何が見つかりましたか。
2022年、現場付近で人骨の一部などが見つかり、DNA型鑑定で美咲ちゃんのものと一致しました。山梨県警は美咲ちゃんが死亡したものと判断しました。
Q3. 家族はどのような被害を受けましたか。
SNS上で根拠のないデマや中傷が広がり、個人情報の拡散、殺害予告、不審者の押しかけなどもありました。
Q4. とも子さんが苦しんだ「正論」とは何ですか。
「私だったら十数秒でも子どもから目を離さない」といった、正しい意見のように見える言葉です。とも子さんは、こうした言葉が行方不明者家族をさらに苦しめる現実を語っています。
Q5. 法的対応は行われましたか。
発信者情報開示請求は約30件に及び、多くの投稿者が謝罪に至ったとされています。中傷投稿をめぐって有罪判決を受けた例もあります。
Q6. 献花台はどうなりましたか。
2025年9月、行方不明から6年の節目に現地の献花台は終了し、植樹が行われました。
Q7. 今後の課題は何ですか。
美咲ちゃんに何が起きたのかという真相解明に加え、行方不明者家族への支援、ネット中傷対策、情報提供の整理、報道対応の支援が課題です。

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