今日、7月26日。神奈川県相模原市緑区の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人の命が奪われた事件から10年を迎えた。
2016年7月26日未明、施設の元職員だった男が園内に侵入し、入所者を次々と襲った。19人が死亡し、入所者や職員ら多数が負傷した。
犠牲者は、ひとまとまりの「19人」ではない。
一人ひとりに名前があり、好きな食べ物があり、家族との時間があり、それぞれの日常があった。
事件から10年。私たちが改めて向き合うべきなのは、犯行の異常さだけではない。なぜ障害のある人の命が否定されたのか。事件後、社会は本当に変わったのか。そして、犠牲者を数字や記号の中に埋もれさせないために、何を記憶すべきなのか。
10年が過ぎても「悲しいまま」
犠牲者の一人、当時19歳だった美帆さんの母親は、事件から10年を迎えても、心は「悲しいまま」だと語っている。
周囲にとって10年は大きな節目に映る。しかし、家族を突然奪われた人にとって、年月がそのまま悲しみの軽さにつながるわけではない。
美帆さんには自閉症があり、言葉を発することはできなかった。それでも家族の記憶には、唐揚げを頬張る姿や、食器を決まった場所へ片付ける几帳面な一面、人懐っこい表情が残っている。
母親は、美帆さんを「先生」だったと振り返る。
障害の有無や、できることの多さだけで人を見るのではなく、その人の良いところを見ること。美帆さんとの生活を通じて、それを教えられたという。
事件を語る際、美帆さんを「19人のうちの一人」と表現しても、事実としては間違っていない。
しかし、数字だけでは伝わらない。
好き嫌いがあり、機嫌の良い日も悪い日もあり、家族を困らせることも笑わせることもあった。そうした日常こそ、美帆さんが一人の人間として生きていた証しである。
「甲A」ではなく、美帆
事件の裁判では、被害者の多くが匿名で扱われた。
美帆さんも当初、法廷では「甲A」などの記号で呼ばれる予定だった。母親は「娘は甲でも乙でもなく、美帆です」と訴え、実名を公表した。
それは、単に名前を明らかにするという判断ではなかった。
美帆さんという名前を社会に残し、一人の女性が19年間を生きた事実を伝える。事件の犠牲者を「障害者19人」という集団の中に閉じ込めないための選択だった。
一方で、匿名を選んだ遺族にも、それぞれの事情がある。障害のある本人や家族に対する偏見、興味本位の視線、インターネット上の中傷。実名を公表することで、新たな苦痛を背負う可能性もある。
実名か匿名かを、外部の人間が評価するべきではない。
問われるのは、障害のある人の名前を公表することに、家族が大きな不安を抱かなければならない社会の側である。
美談ではない「普通の妹」
美帆さんの兄も、妹との日常を語り始めている。
唐揚げを横取りされたこと。母親を困らせまいとして、兄妹で取っ組み合いになったこと。そこにあるのは、事件の犠牲者として整えられた人物像ではなく、家族の中で泣き、笑い、ときには腹を立てさせた一人の妹の姿だ。
障害のある人について語るとき、周囲は無意識に「純粋な人」「家族に愛された人」といった美しい物語へ寄せようとすることがある。
だが、人間の尊厳は、立派だったから与えられるものではない。
家族を困らせることがあっても、意思を言葉にできなくても、社会に分かりやすい成果を残していなくても、その命の価値は変わらない。
美談だけでは収まらない妹の記憶は、犠牲者を遠い存在にせず、私たちと同じ日常を生きていた一人の人間として社会に引き戻す。
一人の異常性だけで終わらせない
犯行に及んだ男は、障害の重い人の存在を否定する差別的な思想を掲げていた。
2020年3月、横浜地方裁判所は男に死刑を言い渡した。その後、判決は確定している。
刑事責任は、男自身が負わなければならない。
しかし、事件を「異常な一人の男が起こした特殊な犯罪」として終わらせれば、社会は自らの内側にある差別を見ないままでいられる。
人の価値を「働けるか」「自立できるか」「社会の役に立つか」で測る空気は、現在も完全には消えていない。
支援に費用がかかる人を「負担」とみなす。意思を言葉にできない人を「何も分かっていない」と決めつける。本人の希望より、周囲の効率や管理を優先する。
犯人の思想は極端だった。しかし、人間の価値を能力や生産性で選別する発想まで、社会と無関係だったとは言えない。
津久井やまゆり園事件が突きつけたのは、障害者福祉だけの問題ではない。
誰が生きる価値を認められ、誰が社会の周縁へ追いやられるのかという問いである。
事件後、社会は変わったのか
事件後、神奈川県では「ともに生きる社会かながわ憲章」が策定され、障害当事者の意思を起点とする福祉も掲げられた。
津久井やまゆり園も再建され、小規模な生活単位の導入や地域生活への移行が進められてきた。
制度や環境は、一定程度前へ進んだ。
一方で、理念を掲げることと、現実に差別をなくすことは同じではない。
地域で暮らしたくても必要な支援を受けられない人がいる。本人の意思より、施設や家族、行政の都合が優先される場面も残る。障害を理由とした排除や心ない言葉も消えてはいない。
施設が必要な人もいる。家族だけでは支えきれず、専門的な支援を必要とする人もいる。
重要なのは、施設か地域かという単純な二者択一ではない。
本人がどこで、誰と、どのように暮らしたいのか。その意思を確認し、選択肢を用意できる社会になったのかが問われている。
風化とは、事件名を忘れることだけではない
事件の風化とは、発生日や犠牲者数を思い出せなくなることだけではない。
7月26日に追悼しながら、日常の中で障害者への差別を見過ごすこと。犯人の主張を非難しながら、支援を必要とする人を「社会の負担」と語ること。共生を掲げながら、本人の意思を聞かずに人生を決めること。
それもまた、事件の教訓を失うという意味での風化である。
美帆さんの母親は、自分が年に一度でも話すことで事件を思い出す人がいるなら、同じような事件を防ぐことにつながるかもしれないと語っている。
しかし、遺族が最もつらい記憶を語り続けなければ、社会が事件を忘れてしまう。その構図を当然のものにしてはならない。
記憶する責任は、遺族だけのものではない。
19人を「19」という数字で終わらせない
犠牲になった19人全員の名前が、広く社会に伝えられているわけではない。
それでも、一人ひとりに人生があったことは変わらない。
朝起きて、食事をし、誰かの声に反応し、好きなものに笑顔を見せた。言葉とは異なる方法で、喜びや不安を伝えていた人もいた。
障害が重かったから価値があったのでも、家族に愛されていたから命が重かったのでもない。
人として生きていた。
それだけで、奪われてよい命ではなかった。
今日、7月26日。
津久井やまゆり園事件から10年。犠牲となった19人を悼み、その一人ひとりが確かに生きていたことを、改めて心に刻みたい。
忘れないとは、事件を思い出すだけではない。
命を能力や生産性で選別する社会を許さないことである。
編集部まとめ
津久井やまゆり園事件から10年が過ぎた。
事件後、共生社会や当事者目線の福祉が掲げられ、施設や制度も見直されてきた。しかし、障害のある人を能力や生産性で評価する視線まで、社会から消えたわけではない。
この事件を一人の男による異常な犯罪として閉じれば、そこに残された差別や命の選別という問題は見えなくなる。
犠牲者19人には、それぞれの日常と人生があった。
その事実を数字の中に埋もれさせず、本人の意思と尊厳が守られる社会をつくれるか。10年目の今日、改めて私たち一人ひとりに問われている。
週刊TAKAPI編集部/一条
特記事項:本記事は、事件の裁判記録、神奈川県などの公表内容、遺族への報道を基に構成しています。犠牲者と遺族の尊厳に配慮し、犯行の具体的な手口や差別的主張の詳細な再掲は控えました。
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