子どもたちに長年愛されている国民的キャラクター「しまじろう」。実は、その誕生を支えた中心人物が、愛知県豊橋市出身だったことをご存じだろうか。
その人物は、豊橋市出身で愛知県立時習館高等学校を卒業した水野次郎(みずの・じろう)氏だ。
水野氏は、ベネッセコーポレーションの前身である福武書店で、幼児向け通信教育「こどもちゃれんじ」の創刊編集長を務め、しまじろうのキャラクター開発を率いた。
1988年に誕生したしまじろうは、2026年で誕生から38年を迎える。
豊橋で育った一人の人物が、どのようにして全国の子どもたちに親しまれるキャラクターの誕生に関わったのか。その経歴と、しまじろう誕生の背景をたどる。
しまじろうの生みの親は誰?豊橋市出身の水野次郎氏
しまじろうの開発を主導した人物として知られているのが、1957年に愛知県豊橋市で生まれた水野次郎氏だ。
水野氏は、幼児向け通信教育「こどもちゃれんじ」の創刊編集長を務め、しまじろうの開発リーダーとして企画に携わった。
ただし、しまじろうは複数の関係者が協力して開発したキャラクターである。そのため、水野氏を「生みの親」と呼ぶ場合は、開発を主導した中心人物という意味になる。
水野次郎氏の出身中学校・高校・大学は?豊橋の時習館高校を卒業
水野氏は豊橋市で生まれ、地元の学校で学んだ。
公表されている経歴によると、豊橋市立南部中学校、愛知県立時習館高等学校を経て、慶應義塾大学文学部に進学した。
時習館高校は豊橋市にある県立高校で、長い歴史を持つ学校として知られている。
水野氏は大学卒業後、福武書店に入社。教材の編集や企画に関わり、幼児向け通信教育の開発に取り組むことになった。
全国的に知られるしまじろうの誕生に、豊橋市出身の人物が関わっていたという事実は、地元でも注目したい話題だ。
しまじろうはいつ誕生した?1988年に「こどもちゃれんじ」から登場
しまじろうが誕生したのは1988年。福武書店が展開した幼児向け通信教育「こどもちゃれんじ」のキャラクターとして登場した。
幼児教育では、文字や数字を覚えることだけでなく、生活習慣や友達との関わり方を学ぶことも大切になる。
しまじろうは、子どもたちと同じように失敗したり、悩んだり、挑戦したりする存在として描かれた。
子どもに一方的に何かを教えるのではなく、一緒に成長していく友達のような存在であることが特徴だ。
その後、教材だけでなく、テレビアニメや映画などにも活動の場を広げていった。
なぜしまじろうはトラになった?キャラクター誕生の裏側
しまじろうがトラのキャラクターになった背景には、子どもたちの反応を大切にする開発姿勢があった。
2019年に水野氏の講演を聴いた船橋市議会議員の橋本和子氏は、講演内容をブログで紹介している。
それによると、開発段階では子どもたちが好きな動物を調べ、実際に幼稚園へ足を運んで意見を聞いたという。
トラは当初、子どもたちに人気のある動物の上位ではなかったとされる。
企画する大人の考えだけで決めるのではなく、子どもたちの反応を確かめながらキャラクターを開発していたことがうかがえる。
しまじろうの名前の由来は?本名は「しまのしまじろう」
しまじろうの正式な名前は「しまの しまじろう」。
「しまじろう」という名前は、トラの縞模様に由来する「しま」と、男の子の名前として親しみやすい「じろう」を組み合わせたものと紹介されている。
子どもたちに覚えてもらいやすく、呼びやすい名前になっている。
しまじろうはなぜ38年間も愛されている?人気が続く理由
しまじろうが長年親しまれている理由の一つに、子どもたちと同じ目線で成長するキャラクター設定がある。
2020年2月20日、ORICON NEWSがベネッセのキャラクター開発担当者に行ったインタビューでは、しまじろうは先生や年上の兄のような存在ではなく、子どもと同じ等身大の存在として描かれていることが説明されている。
また、教材は知識の先取りを目的とするのではなく、子どもの発達段階に合わせて開発されてきたという。
子どもがしまじろうと一緒に考え、挑戦し、成長する。その仕組みが長く受け継がれてきた。
しまじろうはテレビアニメや映画にも展開 教材から全国的なキャラクターへ
しまじろうは、通信教育の教材からテレビや映画、コンサートなどへ活動の場を広げてきた。
ベネッセによると、しまじろうのテレビ番組は1993年に放送を開始した。
その後も、幼児の発達や時代の変化に合わせて、教材や番組の内容を更新している。株式会社ベネッセコーポレーションのプレスリリース
2026年で誕生から38年。幼い頃にしまじろうと親しんだ世代が、今度は保護者として子どもと一緒にしまじろうに触れることもある。
水野次郎氏はその後どうなった?教育者として学校運営にも携わる
水野氏は、こどもちゃれんじの開発に関わった後も、教育分野で活動を続けた。
2020年のラジオ番組の紹介によると、福武書店に1982年に入社し、こどもちゃれんじの初代編集長や事業責任者を務めた。
その後、同社を退職して伊豆半島へ移住。2008年に千葉県の民間人校長登用試験に採用され、中学校・高校の運営に携わった。
2024年8月には、明星中学校・高等学校の校長として、教育に対する考え方などをインタビューで語っている。ダイヤモンド・オンライン
教材の編集から学校運営まで、子どもたちの学びに長く関わってきた人物だ。
豊橋市としまじろうの関係は?地元出身者が開発を主導
しまじろうと豊橋市を結ぶのは、開発リーダーを務めた水野次郎氏の出身地と学歴だ。
水野氏は豊橋市で生まれ、地元の南部中学校と時習館高校で学んだ。
一方で、しまじろうが豊橋市で制作された、あるいは豊橋市をモデルにしたキャラクターであるという事実は、今回確認した資料からは認められない。
豊橋市は「しまじろうが誕生した場所」ではなく、「しまじろうの開発を率いた人物の出身地」である。
この違いは、地域の歴史として紹介するうえでも重要だ。
しまじろうの生みの親が豊橋出身 地域に残る知られざるつながり
1988年に誕生したしまじろうは、通信教育の枠を超え、幅広い世代に知られるキャラクターとなった。
その誕生の中心にいたのが、豊橋市出身の水野次郎氏だった。
身近なキャラクターの歴史をたどると、普段は知られていない地域とのつながりが見えてくる。
水野氏が豊橋で過ごした学生時代の経験が、後の教材開発にどのような影響を与えたのか。今後、本人への取材で明らかにしたい点だ。
週刊TAKAPI 編集部/黒木
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