【報道ジャーナル】板橋踏切自殺偽装事件 なぜ裁判は遅れているのか 高野修さんの死が問う職場いじめの刑事責任

東京都板橋区の踏切で、塗装会社の元社員だった高野修さんが電車にはねられて死亡した事件は、今も多くの人が忘れてはいけない事件である。

事件は当初、人身事故や自殺とみられていた。しかし、警視庁はその後、元勤務先関係者らによる長期間の暴行や支配があったとみて捜査を進め、2024年12月、東京都小平市の塗装会社「エムエー建装」の社長だった佐々木学被告、従業員だった島畑明仁被告、野崎俊太被告、岩出篤哉被告の4人を逮捕した。

この事件でまず整理すべきなのは、4人全員が同じ罪名で裁かれているわけではない点である。

現在の主な起訴状況は、次のように分かれている。

被告2025年4月時点の主な起訴状況
島畑明仁被告殺人罪などで起訴
野崎俊太被告殺人罪などで起訴
佐々木学被告監禁罪などに加え、傷害致死罪で追起訴。殺人罪は起訴見送り
岩出篤哉被告監禁罪などに加え、傷害致死罪で追起訴。殺人罪は起訴見送り

この表を見ると、裁判が遅れているように見える理由が見えてくる。

世間の印象では、「職場いじめの末に4人が高野さんを死に追い込んだ事件」と受け止められやすい。しかし、刑事裁判では、それだけでは足りない。誰が、いつ、どこで、何をしたのか。その行為が高野さんの死亡にどうつながったのか。さらに、殺人罪として問えるのか、傷害致死罪にとどまるのかを、被告ごとに分けて判断しなければならない。

この事件で裁判が遅れているように見える最大の理由は、通常の殺人事件とは立証の形が大きく違うからである。

刃物で刺した、殴って死亡させた、車でひいたという事件であれば、実行行為と死亡結果のつながりは比較的見えやすい。しかし、今回の事件では、高野さんが最後に踏切内へ入ったとされている。つまり、検察側が問われるのは、単に「誰が踏切に連れて行ったか」だけではない。

高野さんが本当に自由な意思で踏切に入ったのか。長期間の暴行、脅し、生活管理、金銭的支配によって、抵抗できない状態に置かれていたのか。被告らの言動が、高野さんを死に向かわせたといえるのか。ここが裁判の中心になる。

被告側が「自分で線路に入った」「自殺を強要していない」と争うなら、検察側は、高野さんが断れない状態に置かれていたことを、動画、LINE、防犯カメラ、供述、生活状況などで積み上げなければならない。

2つ目の理由は、被告4人の罪名が同じではないことだ。

現場の踏切にいたとされる島畑明仁被告と野崎俊太被告は、殺人罪などで起訴されている。一方、佐々木学被告と岩出篤哉被告は、殺人罪での起訴は見送られ、2025年4月に傷害致死罪と暴行罪で追起訴された。

ここが非常に重要だ。

「4人全員が殺人罪で裁かれている」と書くと、現在の起訴状況とずれる。実際には、踏切の現場にいたとされる2人と、直前まで関与したとされる2人で、検察の罪名判断が分かれている。

検察は、佐々木被告と岩出被告について、踏切にはいなかったものの、高野さんに暴行を加え、川か列車に飛び込むよう迫ったとして、傷害致死罪を適用した。これは、死亡とのつながりは問うが、殺人罪としての殺意や共謀をどこまで認定できるかについて、慎重な判断があったとみられる。

つまり、この事件は「4人まとめて1つの殺人裁判」では済みにくい。

共通する暴行や支配の事実をどう扱うのか。誰がどの場面にいたのか。誰が何を言ったのか。誰の行為が死亡にどこまで影響したのか。裁判前に詰める点が多い。

3つ目の理由は、証拠が多く、しかも内容が重いことだ。

報道では、同社のホームページが「アットホームな職場」といった趣旨を掲げていた一方で、実際には高野さんへの暴行や生活管理があったとされる。給与から会社借り上げのアパート家賃が引かれ、十分な生活費が残らず、勤務終盤には食料による現物支給のような状態になっていたとも報じられている。

さらに、高野さんの自宅は休める場所ではなかったとされる。容疑者らが急に訪れ、部屋の鍵もかけられない状態だったという報道もある。スマートフォンには、高野さんに暴行を加える動画や画像が残っていたとされる。

このような証拠は、事件の悪質性を示す一方で、裁判では一つずつ確認される。

動画がいつ撮られたのか。
誰が撮影したのか。
誰がその場にいたのか。
高野さんがどう反応していたのか。
そこに脅しがあったのか。
被告らがどこまで共謀していたのか。

証拠が多い事件ほど、初公判前の手続に時間がかかる。

裁判員裁判では、法廷で争う点を事前に絞り、どの証拠を出すのか、どの証人を呼ぶのか、何日間で審理するのかを決める必要がある。裁判が遅れて見える背景には、この準備がある。

ただし、「遅れている」という言い方だけでは正確ではない。

この事件は、捜査段階から時間がかかっている。高野さんが死亡したのは2023年12月。逮捕は2024年12月で、約1年後だった。つまり、警察は当初からすぐ殺人事件として処理できたわけではない。自殺や事故に見えた死亡から、防犯カメラ、車の動き、スマホ内の動画、関係者の供述をたどり、ようやく刑事事件として立件した。

その後も、起訴内容は一度で固まったわけではない。監禁、暴行、傷害致死、殺人といった複数の罪名が絡み、被告ごとに起訴内容が分かれた。ここまで来るだけでも、通常の事件より時間がかかる。

今後の焦点は、3つある。

1つ目は、島畑被告と野崎被告に殺人罪が成立するのか。

2つ目は、佐々木被告と岩出被告に傷害致死罪がどこまで認定されるのか。

3つ目は、高野さんが踏切に入った行為について、裁判所が「自由な意思ではなかった」と判断するのかどうかである。

この事件を「職場いじめ」と呼ぶだけでは足りない。

仕事上のミスを理由に叱ることと、暴行を加えることは全く違う。職場の上下関係を利用して生活を縛ることは、指導ではない。給与、住まい、人間関係を押さえられた人は、逃げる判断そのものが難しくなる。

高野さんの死は、踏切の数分間だけで起きたものではない。報道されている内容を前提にすれば、その前に長い暴行と支配があった疑いがある。会社の中で、誰も止めなかったのか。止められなかったのか。外部に助けを求める道はなかったのか。そこも社会が見るべき点だ。

裁判が遅れている理由は、単に裁判所の進行が遅いからではない。

この事件では、被害者が自ら踏切に入ったように見える最後の場面と、そこに至るまでの暴行、監禁、生活支配をどう結びつけるかが問われている。さらに、被告4人の立場と罪名が分かれている。証拠も多く、弁護側が否認すれば、争点はさらに細かくなる。

だからこそ、この裁判は時間がかかる。

だが、時間がかかることと、忘れられていいことは全く別である。

高野修さんの名前と、この事件の経緯は、裁判が始まるまでの間も記録され続けるべきだ。職場の中で暴行が続き、生活が縛られ、人が命を失った疑いがある事件を、ただの過去ニュースにしてはいけない。

この事件の裁判で問われるのは、4人の刑事責任だけではない。

職場いじめという言葉で暴力を小さく扱ってきた社会の側も問われている。

編集部まとめ

板橋踏切自殺偽装事件では、高野修さんの死亡をめぐり、元勤務先関係者4人が逮捕・起訴された。

2025年4月時点で、島畑明仁被告と野崎俊太被告は殺人罪などで起訴されている。一方、佐々木学被告と岩出篤哉被告は、殺人罪での起訴は見送られ、傷害致死罪と暴行罪で追起訴された。

裁判が遅れているように見える最大の理由は、被告ごとに罪名と関与の程度が分かれ、殺人罪と傷害致死罪の境目が争点になるからである。

さらに、高野さんが踏切に入った行為について、自由な意思だったのか、長期間の暴行や支配によって判断を奪われていたのかを、証拠に基づいて判断する必要がある。

この事件は、職場いじめ、パワハラ、暴行、監禁が命に直結し得ることを示した重大事件として、忘れてはいけない。

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