美輪明宏さん死去 91歳 「ヨイトマケの唄」「黒蜥蜴」などで知られる歌手・俳優

歌手で俳優の美輪明宏さんが、6月20日午前9時30分、老衰のため亡くなりました。91歳でした。

美輪明宏さんとは

所属事務所が6月28日に発表しました。

通夜と告別式は、本人の意向により近親者のみで既に営まれたということです。お別れの会やしのぶ会の予定はありません。

関係者によりますと、美輪さんはこの1年、高齢のため仕事を控えながら体力の回復に努めていました。約3カ月前に体調を崩してからは、自宅で静養を続けていたということです。

最期は家人に「ありがとう」と感謝の言葉を伝え、静かに息を引き取ったとされています。

告別式では、美輪さんが好きだった黄色いバラで祭壇が飾られ、棺にはファンから寄せられた手紙も納められたということです。

長崎に生まれ、銀座のシャンソン喫茶でデビュー

美輪明宏さんは1935年5月15日、長崎県長崎市生まれ。本名は丸山明宏さんです。

1951年に上京し、国立音楽大学付属高校に入学しましたが、のちに中退。1952年、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」でプロ歌手としてデビューしました。

1957年には、フランス語のシャンソン曲「メケ・メケ」を自ら日本語詞にしてカバー。「丸山明宏」の名前でレコードデビューし、独特の歌声と表現力で注目を集めました。

「ヨイトマケの唄」は代表作に

1965年には、実在の親子の話をもとに作詞・作曲した「ヨイトマケの唄」を発表しました。

労働に生きる人々への敬意や、母への思いを込めた楽曲として大きな反響を呼び、のちに美輪さんの代表作のひとつとなりました。

NHK紅白歌合戦には計4回出場。2012年と2015年には「ヨイトマケの唄」を披露し、世代を超えて大きな反響を集めました。

舞台「黒蜥蜴」「毛皮のマリー」でも存在感

美輪さんは歌手としてだけでなく、俳優としても強い存在感を放ちました。

1967年には、寺山修司さんが主宰した劇団「天井桟敷」の旗揚げ公演に参加。その後も「毛皮のマリー」「黒蜥蜴」などの舞台に出演し、独自の美意識と表現力で観客を魅了しました。

1997年には、舞台「双頭の鷲」の再演で読売演劇大賞優秀賞を受賞しています。

声優・ナレーション・相談番組でも活躍

2004年公開の宮崎駿監督作品「ハウルの動く城」では、荒地の魔女の声を担当しました。

また、2014年のNHK連続テレビ小説「花子とアン」ではナレーションを務め、幅広い世代に親しまれました。

2005年から2009年にかけては、テレビ朝日のトーク番組「オーラの泉」に出演し、スピリチュアルブームの一端を担いました。

2020年から2025年までは、NHK・Eテレ「美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室」に出演。長年の経験をもとに、視聴者の悩みに向き合っていました。

2025年5月30日の放送では、90歳の誕生日を祝われ、笑顔を見せる場面もありました。

ミニ解説|美輪明宏さんとは

Q. 美輪明宏さんは何で知られていますか?

A. 歌手、俳優、演出家、声優、ナレーターとして幅広く活動しました。代表作には「ヨイトマケの唄」、舞台「黒蜥蜴」「毛皮のマリー」、映画「ハウルの動く城」などがあります。

Q. 亡くなった原因は何ですか?

A. 所属事務所によると、老衰のため6月20日に亡くなりました。91歳でした。

Q. 葬儀やお別れの会はありますか?

A. 通夜と告別式は本人の意向で近親者のみで既に行われました。お別れの会やしのぶ会の予定はないということです。

Q. 「ヨイトマケの唄」はどのような作品ですか?

A. 美輪さんが作詞・作曲した代表曲です。働く人々への敬意や母への思いを込めた楽曲として知られ、長く歌い継がれてきました。

Q. 近年はどのような活動をしていましたか?

A. NHK・Eテレ「美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室」などに出演し、人生相談に答える姿が親しまれていました。この1年は高齢のため仕事を控え、体力の回復に努めていたということです。

多くの人に言葉と表現を届けた人生

美輪明宏さんは、歌、舞台、映画、テレビ、ラジオ、新聞・雑誌の連載など、さまざまな分野で表現を続けてきました。

美しさ、愛、平和、人間の弱さと強さ。
その言葉や作品は、時に厳しく、時にやさしく、多くの人の心に届いてきました。

91年の人生を通じて、美輪さんは「表現者」としてだけでなく、生き方そのものでも多くの人に影響を与えました。

本記事は、所属事務所の発表および各社報道を基に構成しています。今後、関係者の発表などにより、内容が更新される可能性があります。

担当記者:松本|週刊TAKAPI 記者

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