太平洋戦争中に学童疎開船「対馬丸」が撃沈された事件から82年となる8月22日を前に、那覇市若狭の対馬丸記念館で2026年8月15日、犠牲者8人の遺影が新たに掲示されました。これにより、館内に展示されている犠牲者の遺影は計426人となりました。
記念館では犠牲者一人ひとりを単なる人数としてではなく、家族と暮らし、将来を思い描いていた人として伝えるため、遺族から提供された写真を継続的に収集しています。公式案内でも、犠牲者の遺影や数少ない遺品を展示し、事件と命の尊さを次世代へ伝えることを活動の柱としています。
児童ら8人の写真を遺族が提供
今回加わったのは、対馬丸に乗船して犠牲となった子どもや付き添いの関係者ら8人の遺影です。遺族が写真を提供し、15日に記念館で新たに掲示されました。展示される遺影は426人となりましたが、氏名が判明している犠牲者1484人全体からみると、現在も4分の1余りにとどまります。
記念館は、写真を亡くなった人たちが確かに生きていたことを示す重要な記録として位置付け、引き続き遺影の提供を呼びかけています。
1944年8月22日、悪石島付近で撃沈
対馬丸は1944年8月、沖縄から本土へ学童や一般疎開者を運んでいました。8月22日夜、鹿児島県の悪石島付近を航行中、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没しました。氏名が判明している犠牲者は1484人で、公式資料ではこのうち学童784人、訓導・世話人30人、一般疎開者625人などとされています。
那覇市若狭の対馬丸記念館は2004年に開館し、事件の経緯、生存者や遺族の証言、遺品、犠牲者の遺影などを通じて「子どもと戦争」を伝えています。
82年経ても続く遺影収集
2025年にも犠牲者5人の遺影が新たに加えられ、その時点の展示は417人でした。2026年8月15日の新たな掲示で426人となり、戦後80年以上が経過した現在も、家族のもとに残されていた写真が記念館へ届けられています。
遺族の高齢化が進むなか、写真や証言をどこまで収集し、次世代へ継承できるかは今後さらに重要になります。
編集部まとめ
那覇市の対馬丸記念館で8月15日、対馬丸事件の犠牲者8人の遺影が新たに掲示され、展示数は計426人となりました。対馬丸は1944年8月22日に撃沈され、氏名が判明しているだけで1484人が犠牲となりました。事件から82年となるのを前に、失われた命を「一人ひとりの顔」として残す取り組みが続いています。
週刊TAKAPI編集部/一条
特記事項
今回の記事は、2026年8月15日に実際に新たな遺影8人が掲示され、展示総数が426人になったことを新規差分として記事化しています。2024年にも「8人の遺影追加」がありましたが、その際は展示総数414人であり、今回とは別の追加掲示です。
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