1970年5月15日午前1時40分ごろ。
愛知県豊橋市八通町の住宅から火の手が上がった。
建物は1階が文房具店、2階が住居。消火後、焼けた2階から、この家に住む35歳の女性と、3歳、1歳の息子2人が遺体で見つかった。
単なる住宅火災ではなかった。
司法解剖の結果、母親は火が出る前に電気コードで首を絞められて死亡していたことが判明した。一方、幼い兄弟は火災によって死亡したとされた。
事件当時、夫は得意先の幼稚園・保育園児らを連れて大阪万博へ出かけていた。自宅に残っていたのは妻と子どもたち。妻は妊娠5か月だったという。
一家から3人の命を奪ったのは誰だったのか。
愛知県警は捜査を進め、約3か月後、店で働いていた21歳の男性を逮捕した。
男はやがて犯行を認めた。
検察は起訴し、死刑を求刑した。
これだけを並べれば、一度は解決した事件のように見える。
しかし4年後、名古屋地裁豊橋支部が言い渡した判決は「無罪」だった。
検察も控訴を断念する。
死刑を求められた21歳の男性は、法的には犯人ではなかったことが確定した。
それでは、本当の犯人は誰だったのか。
答えが出ることはなかった。
週刊TAKAPIの調べによると、この「豊橋事件」を読み直したとき浮かび上がるのは、半世紀前の凶悪事件というだけではない。
そこには、一人の人物へ疑いが集中していく捜査、その人物の「自白」、自白とは噛み合わない物証、捜査員自身による法廷証言、そして死刑求刑を退けた無罪判決という、刑事司法の根幹にかかわる問題が重なっている。
夫がいない夜に起きた惨劇
事件現場は豊橋駅から南西約1.5キロ。羽根井小学校の道路を挟んだ東側にあった文房具店兼住宅だった。
事件前日の5月14日、夫は朝から大阪万博へ向かった。
自宅には妻と幼い息子2人が残った。
普段、店は午後8時から8時半ごろに閉店していた。事件当日も1階の照明は午後8時半ごろには消えた一方、2階の照明は遅くまでついていたという。
発見されたとき、子ども2人はパジャマ姿だった。
対して母親はセーターとスカートという普段着のままだった。
資料では、母親の死亡推定時刻は15日午前1時ごろとされている。
つまり深夜、家族が眠りにつこうとする時間帯に、何者かがこの住宅にいた可能性がある。
