
加害者とされる人物は社会の中で成功を収め、やがて国を代表する舞台へ
一方で、被害を訴える側は、長年にわたり心身の苦しみから抜け出せずにいる。
この極端な構図が、いま海外でも注目を集めている。
中国のSNSアプリ WeChat 上で拡散している記事は、日本の少年事件と法制度のあり方を厳しく問い直す内容だ。記事では、幼少期に深刻な性的被害と屈辱を繰り返し受けたとする男性の訴えを軸に、「なぜ加害側は守られ、被害側は救われないのか」と問題提起している。
とりわけ海外で衝撃をもって受け止められているのが、時間の経過と制度の壁だ。
記事によれば、加害行為があったとされる当時、相手は11歳。日本の刑法では14歳未満は刑事責任を問えず、刑罰の対象外となる。さらに、被害の実態が表に出たのは約14〜15年後で、公訴時効の問題も重なり、法的責任の追及が極めて困難な状況にあるとされる。
つまり、「未成年だった」という一点と、「時間が経過した」という現実が重なることで、被害者側が声を上げても司法が追いつかない構造が浮き彫りになっている。
海外SNS上では、「これは日本特有の問題なのか」「被害者の救済はどこにあるのか」といった声が相次ぎ、日本の少年法や時効制度そのものへの疑問が広がっている。
一部では、「更生を重視する制度が、結果として加害者の“保護装置”になっているのではないか」との厳しい指摘も出ている。
もちろん、個別の事実関係については慎重な確認が必要だ。だが、仮に訴えの内容が事実であるならば、被害者の人生が長年にわたり損なわれ続ける一方で、加害側は社会的評価を積み上げていくという現実は、国境を越えて強い違和感をもって受け止められている。
少年法、刑事責任年齢、公訴時効
これらは本来、社会の秩序と更生の機会を両立させるための制度だ。しかし、その枠組みが被害者の救済を阻む結果になっているとすれば、それは本来の目的から逸脱してはいないか。
海外からの視線も集まる中、日本の制度はどこまで現実に向き合えているのか。
そして、守られるべきは本当に「未来」だけなのか、それとも「奪われた過去」なのか。
週刊TAKAPI
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