トイザらス跡地はどうなった?DCMの専門館へ転換
愛知県の資料では、DCMカーマ豊橋汐田橋店専門館の所在地は牟呂町字扇田35番1。
これは旧トイザらス豊橋店の所在地と一致する。
現在は周辺を含め、DCM21豊橋汐田橋店として大型ホームセンター機能が展開されている。
同店には一般的な日用品だけでなく、
資材売場、
エクステリア、
ペット、
DIY関連サービス
など幅広い機能がある。
玩具を買うために訪れる「目的型店舗」から、住宅・DIY・日用品など日常生活の幅広い需要を取り込む店舗へ。
同じ汐田橋の大型商業地でも、時代によって求められる業態が変わったことが分かる。
米トイザらスの破綻が豊橋店閉店の原因だった?
検索すると混同しやすいのが、米国トイザらスの経営破綻だ。
しかし、時系列を見る必要がある。
豊橋店が閉店したのは2017年7月8日。
一方、米トイザらスを巡って債務整理の可能性が大きく報じられたのは同年9月で、その後、米法人は連邦破産法11条の適用を申請した。
つまり、
豊橋店閉店 → 米トイザらスの破産申請
という順番だ。
さらに当時、日本トイザらス側は米法人の破産について、日本法人には現時点で影響していないと説明していた。
したがって、米国トイザらスの破綻をそのまま「豊橋店が閉店した理由」とするのは時系列上適切ではない。
【編集部考察】豊橋トイザらス撤退で変わったのは「玩具需要」より買い物の形か
豊橋店は約20年間営業した。
それだけ長期間営業できた店舗が2017年に姿を消したことを考えると、単純に「人気がなかった店」と片付けるのは難しい。
編集部が注目するのは、
1997年と2017年では買い物の方法がまったく違っていたことだ。
1997年当時、欲しい玩具を探すなら店舗へ行くことが基本だった。
一方、20年後の2017年にはスマートフォンから商品の在庫、価格、口コミを調べ、その場で注文できる環境が急速に広がっていた。
さらに家電量販店、ショッピングモール、ECなど、玩具を購入できる場所そのものが多様化した。
そして豊橋店撤退後も土地は商業利用され、ホームセンター系施設へ転換された。
この流れから考えると、豊橋トイザらスの撤退は、
「汐田橋という場所の衰退」ではなく、「大型専門店に求められる役割が変化した出来事」
として見る方が実態に近いのではないだろうか。
豊橋トイザらス閉店から約9年、汐田橋に残ったもの
トイザらス豊橋店の閉店から、2026年で約9年になる。
建物も店舗も変わった。
それでも「あそこにトイザらスがあった」と覚えている市民はいる。
子どもの頃に巨大な玩具売り場へ行った記憶は、単なる買い物以上のものだったのかもしれない。
ECが当たり前になった現在だからこそ、巨大な売り場を歩きながら欲しい玩具を探すという体験は、当時を知る世代にとって一つの「豊橋の記憶」になりつつある。
豊橋トイザらスの閉店を振り返ることは、この約30年間で地域の買い物がどれほど変わったのかを振り返ることでもある。
まとめ|豊橋トイザらス撤退は「汐田橋の衰退」だけでは説明できない
豊橋市牟呂町・汐田橋周辺で約20年間営業したトイザらス・ベビーザらス豊橋店は、2017年7月8日に閉店した。
ただし、豊橋店単体の詳細な撤退理由については公開資料だけでは確認できない。
そのため「少子化だったから」「売れなかったから」と断定するのではなく、当時急成長していたEC、スマートフォンによる購買行動の変化、異業種との競争、そして跡地の商業利用まで含めて見る必要がある。
そして何より興味深いのは、トイザらスが撤退しても汐田橋から大型商業そのものは消えなかったことだ。
店舗が消えたのではなく、時代に合わせて「売るもの」と「店の役割」が変わった。
豊橋トイザらスの20年間は、地方都市のロードサイド商業が変化してきた歴史の一場面だったのかもしれない。
記事注記
本記事は公開情報、業界統計、地域の商業環境、市場動向を基に週刊TAKAPI編集部が独自に考察したものです。一部に編集部の見解・推測を含みます。トイザらス・ベビーザらス豊橋店の個別の売上高、採算、契約内容、撤退の意思決定過程について断定するものではありません。
週刊TAKAPI編集部:黒木
独立メディアだからこそできる、忖度しない報道を。
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